展覧会

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2-4『工藝選書』

『工藝選書』は、手工芸の各分野において注目した作品を紹介する為に柳が企画したシリーズであり、1942年から1943年にかけて発行された。三代澤が装幀を担当した『諸国の土瓶』、『日田の皿山』、『津軽のこぎん』の他には、『藍絵の猪口』、『雪国の蓑』、『木喰上人の彫刻』がある。本シリーズはいずれも柳の初期の代表的な作品を取り上げており、例えば『日田の皿山』では民藝運動ゆかりの窯元として知られる小鹿田焼が紹介されている。こうした民藝運動の方向性を示す初期の重要な書籍の装幀に、三代澤が携わっていたことは今後改めて注目されるべきだろう。

29 絹の道の枝垂桑

最後の国展出品作となった「絹の道の枝垂桑」は象徴的な作品である。それまでの屏風作品の多くは、全体の構成をイメージしつつ、前述の「潮」のように一扇ごとに別々の型紙を使っていた。しかし本作の制作の様子を記録した写真を見ると、この作品は三扇で構成する屏風を一枚の画面とし、ひとつの型紙を使って染色している。それまでの制作にはなかった構図だ。2色に染め分けられた桑の幹から四方に伸びた枝には、いくつもの葉が連なる。画面に使った色はたった3色。その3色が画面にほどよく散りばめられ、リズムを生み出す。また、画面に雲母をひき、2色の染紙で屏風の天地を縁取ることで、枝垂桑の姿が引き立ち、屏風の装飾性を高めている。型染という技法をつかった絵画。そんな表現が相応しい作品である。

29 グラゴルミサ・幻想

中央の二扇、三扇目には、キリスト教を布教するために使用されたグラゴル文字が描かれている。両サイドに並んでいるのは、それを考案した聖人・キュリロスとメトディオスではないかと思われる。本作品には表現の手法として、画面全体に石灰を混ぜた防染糊を残し、それを線状にかき落としている様子が見られる。そのざらついた固い質感と灰色の地色が相まって、洞窟や石壁に描かれた古い壁画のような神秘的な印象を作品にもたらしている。

5-10 『工藝』

雑誌『工藝』は1931年に創刊され1951年の120号まで続いた民藝運動の機関誌である。限定500~600部で始まり、1935年末頃からは限定1000部まで増え、最終的に2000部の発行に達した。企画、編集から表紙のデザイン、小間絵、挿図、用紙までが柳宗悦の審美眼によって選び抜かれ、それ自体が一つの工芸品となるように製作された。三代澤本寿は、110号、112号、113号、114号、115号、119号の表紙を手掛けた。

40 鈴木照雄 鉄釉流掛大皿 1988年

 1948年に山形県で生まれた鈴木照雄は、大学時代に作陶の道を志し、現在まで独学で制作を続けてきました。
本作品は、昭和63(1988)年の日本民藝館展において奨励賞を受賞した作品です。縁から掛けられた黒釉が重力にしたがって流れ、飴色の器面に放射状の模様を生み出しています。その手法上どうしても完全なコントロールができず、いわば自然の力とも言うべき偶然性が作品に大きな魅力をもたらしています。材料に関しても身の回りにある天然の材料を用い、窯は薪窯を使用しています。鈴木は、材料、手法など隅々にわたって、人智の及ばない自然の力に深い畏敬を抱きながらその力と共に作陶に取り組んでいる作家です。

33 柚木沙弥郎 芭蕉布着物 1974年

 1922年東京都で生まれた柚木沙弥郎は、柳宗悦の『工藝の道』と芹沢銈介の型染カレンダーに感銘を受け、染色家を志します。
 本作品は、当館が開館して間もなく経った1974年に制作されました。生地には沖縄県や奄美諸島で織られてきた芭蕉布を用い、バキュームにより染液を浸透させる注染という技法で模様を染めています。生命力にあふれた模様と鮮やかな色彩が特色の柚木の作品は、時に繊細に、時にユーモラスに、見る者の想像力を刺激します。芭蕉布の原始的な力強さと、大胆な配色、リズムすら感じさせる生き生きとした模様が見事に響きあった本作品もまた、見る者に様々なイメージを想起させるでしょう。

123 丹波布裂

普通丹波木綿と言われるもの、丹波国佐治町を中心に織られ、一時は地木綿として盛んに京阪にその販路を持ち、主として庶民の夜具地や丹前程の用に応じた。感じの柔らかい温かい木綿で、味わいが中々深い。昔のこととて、手紡手織だが、藍草の青や榛の木の茶色で主に染めた。この縞貫の一特色は、いつでも緯糸に或間隔をおいて、染めない又撚りかけてない白糸を用いて縞を出すことで、あまり他の地方ではこの習慣を見ぬ。幕末が最も仕事に忙しく、明治中頃から衰え始めたが、一時は盛んな生産であって、地方産の木綿としては大いに特色があった。織りが荒いので丈夫とは言えぬが、それだけに温かく又味わいがあった。
(『柳宗悦全集 図録編 柳宗悦蒐集 民藝大鑑 第三巻』 1981年11月30日初版発行 編者 日本民藝館)

226 芯切鋏

之は仏壇で用いる和蝋燭の芯を切る道具である。西洋の古い芯切と甚だ似通う。形が大変美しいではないか。こういう品は今の暮らしからは段々遠のいてゆくが、しかしこういう心の入った仕事、姿の美しさばかりは、今の品々にも活かさねばならない。京都産。
(『柳宗悦全集 図録編 柳宗悦蒐集 民藝大鑑 第四巻』 1983年9月10日初版発行 編者 日本民藝館)

53 色絵蓮池翡翠文皿(伊万里 古久谷様式 1640-50年代)

紋様は蓮華と鳥、同じような図のものが幾枚か知られているから、好まれた図相であったかとも思われる。花は深い紫色であって、葉は緑と黄、赤は僅か鳥の頭だけに用いてある。構図が単純で、よくまとまりがあり、見事な古九谷の一例と言えよう。それに古久谷盛期の一例と言えるに違いない。
(『柳宗悦全集 図録編 柳宗悦蒐集 民藝大鑑 第一巻』 1981年7月15日初版発行 編者 日本民藝館)

80. 石膏型 (1990年)

 隣に展示している角大鉢を作る為に使われた石膏型。この型自体も弘光氏が制作している。また陶器は作成の過程で、粘土内の水分が抜けて約1、2割ほど縮む為、実際の出来上がりの寸法よりも一回り大きめに作られている。

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