その他

大阪日本民芸館について

1970年 日本万国博覧会のパビリオンとして建設
1971年 大阪日本民芸館として開館
敷地面積 3.070.035m2
初代館長 濱田庄司(はまだ しょうじ)
二代目館長 柳宗理(やなぎ むねみち)

万博終了後、展示館の建物を引き継いで、柳宗悦(*)(やなぎ むねよし1889-1961)の提唱した「民藝運動」の西の拠点として装いも新たに開館したのが、大阪日本民芸館です。正面には、「平和のバラ園」「日本庭園」「国立民族学博物館」などの文化施設群があり、緑に包まれた万博記念公園の文化的心臓部に位置しています。

民芸館の建物は鉄筋コンクリート造りの平屋建(一部二階)で、三角形の敷地いっぱいにひろがり、展示室は回廊式で第一展示室から第四展示室へ自然な流れに沿ってゆったりと鑑賞できる構造になっています。建物に囲まれた中庭は石敷で、全国各地の壺・甕・鉢がほどよく配された野外展示場として簡素な趣を呈しています。

初代の館長は、柳宗悦とともに民藝運動を推進してきた陶芸家の濱田庄司(*)(1894-1978・人間国宝)。二代目館長は、日本民藝館(東京・駒場)の名誉館長、工業デザイナーの柳宗理(1915-2011)(*)が1978年に就任しましたが、2011年3月末に退任しております。
展示は、大阪日本民芸館と日本民藝館(東京・駒場)等の収蔵品を中心に、陶磁器、染織品、木漆工品、編組品など国内外の民藝品を展観する特別展を、年2回(春季と秋季)開催しています。また、催事として特別展ごとに〈記念講演会〉を行っています。

*柳宗悦 1889年(明治22)~1961年(昭和36)
柳宗悦宗教哲学者。学習院高等科に在学中、雑誌『白樺』の創刊に参加し、東京帝国大学哲学科に学ぶ。李朝工芸や英国スリップウェアとの出会いをきっかけに、民間で用いられる日常品の美に注目していく。仏教の他力思想に基づく独創的な民藝美論を提唱、濱田庄司・河井寛次郎らと共に「暮らしの美」を旗印とする民藝運動を展開する。1936年には日本民藝館を創設した。
*濱田庄司 1894年(明治27)~1978年(昭和53)
濱田庄司陶芸家。河井と同じ東京高等工業学校に学び京都市陶磁器試験場を経て、1920年、在日中のバーナード・リーチとともに渡英する。帰国後、栃木県益子に窯を開く。世界・日本各地を廻り日用雑器の持つ美を吸収し、素朴で力強い作風をつくりあげた。
*柳宗理 1915年(大正4)~2011年(平成23)
柳宗理柳宗悦の長男。日本の工業デザイン界のパイオニアとして活躍。その作品は世界的に高い評価を受け、各国の美術館にコレクションとして収蔵されている。1977年に日本民藝館館長に就任。1978年大阪日本民芸館館長に就任(2011年3月末に退任)。民藝とプロダクトの世界の架け橋として重要な役割を果たしている。

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