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柳宗理「民藝」掲載分

『我等が失いしもの』 柳 宗理

沖縄に行くと、丘の側面や、小高い畠の斜面に、ちょうど亀の子を伏せたような形で、むくむくと大地より盛上っている巨大なマッスの薄黒い石塊が所々に 見かけられる。これはいわゆる亀甲型の墓で、地下に眠る沖縄の人々の死霊が、もっこりと体をもたげる摩訶不思議な驚歎すべき姿なのである。
(中略)
亀甲型の墓の内部の空間は、優に十坪くらいはあろうか、奥に五段くらいの階段の石畳が、横一杯に広がっていて、そこに累代の全く見事な、それぞれ異った骨壺がずらりと納まっている。この骨壺は厨子甕といわれ、洗骨した後に骨を入れる容れものである。厨子甕には壺型と家型とがあるが、この家形の厨子甕 こそ、沖縄にしか見られない独特なものなのである。素材は珊瑚石灰石と焼物がある。珊瑚石灰石のものは、シンプルで、どっしりした落着いた感じのもの で、死霊の住家らしく、静寂の美しさをもっている。ところが焼物の方は装飾が多く、大変豪奢な形をしている。この世で叶えられぬ立派な住家を、せめてあの世でというわけか、あたかも竜宮の如き豪華な御殿型である。しかし単なる装飾ではなく、鯱、獅子、竜、法師といったように厄除け、魔除けの模様が殆ん どである。普通このように多くの装飾をつけると、嫌らしくなるものだが、この厨子甕は少しも嫌らしくはない。むしろ生気漲り、妖気漂う強烈な迫力をもっ たものである。ちょうど信仰に支えられたゴシック建築の怪物とか、アンコール・ワットの神佛の装飾にも優るとも劣らぬものである。それにこの厨子甕は、 沖縄庶民の魂の息吹きが感じられて、思わず、あーっと感歎の声を発してしまうような魅惑的な凄さをもっている。一体装飾とは何であろうか。どうやらそれ を生み出す源を、我等はすでに失ってしまったのではなかろうか。『民藝』(昭和56年)

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